戦後の住宅建築の歴史 すぐに役立つ注文住宅講座/注文住宅・住宅メーカー選びのご相談ならハウジングコンシェルジュ協会

終戦時、日本の住宅は急激に不足しました。その不足数は430万戸とも言われるほどで、壕舎や焼けた電車やバス住宅など、雨露しのぐために、狭いところに多くの家族が同居していました。その後の住宅政策として昭和25年に、所得が少ない生活困窮者のための「公営住宅」や、土地は持っているが建設資金の無い人のための「住宅金融公庫」が準備されました。経済復興と共に急激に増大した中間層のサラリーマンに対してその夢となりうる「団地」を建設する「住宅公団」が発足したのは、それから5年後の昭和30年のことです。

photo/注文住宅・住宅メーカー選びのご相談ならハウジングコンシェルジュ協会しかし当時の日本人にとって、マイホームの夢はなんといっても“一戸建て住宅”でした。ところが、日本人の労働力は工場に吸収されていたため、屋外で働く建設労働者のなり手がいなかったのです。そこで現場の作業効率を上げようと様々な新建材や電動工具などが開発され、建築部品も工場で組み立てて現場に搬入するプレハブなどが急速に発達しました。昭和41年には住宅建設法も制定され、大規模な住宅建設が全国的にスタートし、大都市近郊には大規模な住宅分譲地が造成され、そこから不動産業と住宅産業が成長し始めました。そして昭和50年には住宅の量不足も解決され、質の時代となって、住宅産業は顧客のニーズにあった住宅を作り始めました。住宅にデザイン性が求められるようになったのもこの頃です。50年代後半はインテリアデザイン、外構までを含めたトータルな住宅建設が一般的になってきました。60年代に入ると今度はバブル経済が崩壊し、日本は急速な高齢社会に突入して住宅観がまた急速に変化してきました。憧れの郊外に一戸建てを建てた人たちが高齢となり、生活に便利な都市に回帰して超高層に住むという現象が目立ち始めたのです。

こうした様々な歴史を辿り、日本の住宅事情は、団地や郊外の一戸建てだけでなく都市の超高層マンションまで広がりをみせ、それに伴って住宅建築が多種多様に変化してきたのです。